子どもの頃のトラウマ

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大好きなお姉ちゃん

私は小学2年生の時に現在の実家に引っ越しをしました。

引っ越したばかりは誰も友達がおらず、隣に住んでいる2歳年上のお姉ちゃんとばかり遊んでいました。

とても仲が良く、いつでも一緒にいるので、よく姉妹に間違われるほどでした。

学校から帰るとランドセルを置いてお姉ちゃんの家に行き2人で遊ぶというルーティーンでした。お姉ちゃんのことが大好きで、毎日楽しかったので完全に私も好かれているものと思い込んでいたのです。(子供の頃なので、深く考えることすらなかったと思います。)

 

3年生になったくらいだったと思う。

いつものようにお姉ちゃんの家で遊んでいたら、お姉ちゃんの同い年のお友達が2人遊びに来ました。当然のように私も仲間に入り一緒に遊んでいたのですが、そのうち私が荷物を取りに家に帰ってくるということになりました。(誰が言い出したか、自分で言ったのか思い出せません)

私は一旦自分の家に帰り、荷物を持ってまたお姉ちゃんの家にいったのです。

いつもは玄関の鍵が空いていて、ピンポンは押さずに玄関を開けて大声で呼ぶと出てきてくれていました。

でも、その時は鍵が閉まっていた。

 

どうして?

ピンポンを鳴らしても気づいてもらえない。

2階からみんなの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。

何度も何度もインターホンを鳴らすけど、気づいてもらえない。

 

段々と私は不安になり、大声でお姉ちゃんを呼んでいました。

どんだけ叫んでも届かない。

でも2階から笑い声が聞こえてくる。

何で聞こえないの?

お願い!気づいて!

祈るような気持ちで泣きながら名前を呼んでいました。

声が枯れるほどに、

大声で叫び続け

大泣きをして、

疲れて玄関前に座り込み、

また立ち上がって叫んでみたり、

でも誰にも気づいてもらえず

絶望に打ちひしがれていました。

私の存在が忘れられている

みんなは相変わらず楽しそうです。

 

母の対応

あたりはすっかり薄暗くなり、

母が帰ってくる車の音が聞こえました。

すぐに母の元に行って、泣きながら状況を説明しました。

それを聞いた母は

「そんなに泣かんでも。。。帰ろー」と。

 

帰ってからも泣き続ける私に母は

「うるさい」と。

 

相手にしてもらえない悲しさが追い討ちをかけ、

私は自分の部屋へ行き、ベッドに潜り込んで声を殺して泣き続けました。

そのまま泣き寝入り。

 

記憶があやふやだけど、確か私は次の日お姉ちゃんを迎えに行かなかった。

登校も下校も同級生のお友達を見つけるか、1人か。

 

家にも遊びに行かず、お姉ちゃんからも何も言われず、、、。

お姉ちゃんはむしろ同級生のあのお友達たちと一緒です。

 

初めての、仲間外れ

私は

仲間外れにされたんだ

と気付きました。

 

お姉ちゃんは私じゃなくて、同級生と遊びたかったんだ。

私のこと嫌いになっちゃったんだ。

だから、わざとあの日仲間外れにしたんだと。

 

深く、深く、傷つきました。

ずっとこのことがトラウマとなり、人間関係が上手くいかない時は疼くようになりました。

 

ずっと、苦しかった。

 

未解決の感情

何十年もの間、

あの日の声が枯れるまで泣いた小さな私が

傷ついたまま、ずーっとそこにいるのを感じていました。

母にも「うるさい」と言われ、

でも自分ではどうすることもできずに

未解決のままとなってしまった感情が

癒されるのを待つかのようにここにいると

シクシクと痛むのです。

 

 

私がこのことから何を学んだかというと

・人は裏切る

・私は嫌われている

・みんな私のことが嫌いなんだ

・仲間外れにされるのは辛いから、やられる前にやらないと

といった、捻れた観念でした。

 

かといって、私は仲間はずれの辛さがわかっているので実際に誰かにすることはなかったけど、常にそういう立場にならないように周りをうかがって、気をつけていたと思います。

・泣いたらだめだ!うるさい!

という観念もしっかりと刻まれました。(だからすぐに泣くということにもつながっています)

 

このトラウマ自体に気付いたのは20代前半ですが、

見てみぬふりをして、押し込めて来たのです。

 

催眠療法

意を決して催眠療法を受けました。ずっと気にはなっていました。

40代後半に差し掛かり、自分を見つめ直していたときのことです。

 

年齢を遡って当時の小さい自分に出会い、客観的にその時の様子を確認しました。

信じられないくらい涙が出て、小さい子供の泣き方みたいだと

カウンセラーにも言われるほど、泣きに泣きました。

5時間くらいとことん付き合ってくれて、涙を全部出し尽くし、

これまでにないくらいにスッキリしました。

実際に自分がどうであったのかを確認でき、

大事な学びを得て、もうこの観念は必要ないと宣言して学びを完了させてもらいました。

 

今までは少しでもこのことを思い出すと落ち込んで泣いていましたが

それからは落ち込むこともなくなり、

自分がどう思われるか、嫌われているんじゃないか

と過度に考えることがなくなりました。

友達関係も変に気を遣うことなく、私は私!と

自分を自由に表現できるようになり、また少し自分が好きになりました。

この時に受けた前世療法についてはまた詳しく書きますね!

 

でも子供の頃の残酷な思い出って、誰にもあるものと思います。

 

娘の場合

実際に娘も1年せいの時に泣いて帰ってくることがありました。

“仲間はずされ”をされちゃった。と。

経緯を聞いてみると、

娘は学童でもクラスでも誰とでも仲良くできるタイプなので

休み時間も「遊ぼ〜遊ぼ〜」といろんなお友達が来て腕を引っ張って取り合いになるのだと。娘も「じゃあみんなで遊ぼうよ!」と提案したりもしてたけど、何となく誘われるがままに遊んでいたそうです。

そんなある日

「〇〇ちゃん(娘)は裏切り者!」

とSちゃんに言われ、

「ママ?裏切るってなに?何回ほかのお友達と遊んだら裏切り者なの?」

と泣きながら話してくれました。

 

私は自分が慰められなかった経験から、娘のこの気持ちを受け止めて解決してあげたいと思っていました。

 

「学校にも行かなくていいし、もうSちゃんと遊ぶのやめり〜」と。

そして「学童の先生とクラスの先生にも相談するから」と娘よりも私の方が怒りと悲しみでいっぱいになっていました。

解決するってどうなること?

でも娘の気持ちは全く違っていて

「そんなことしないで。余計に仲間外れになっちゃう!私は大丈夫だからお願い!誰にも言わないで!」と。

でも、次の日も、次の日も、泣いて帰ってくるのです。

「〇〇ちゃんは来ないで!私たちだけで遊ぶからあっちに行って!」と言われたと。

なんと残酷な。

 

一緒に登校している子たちに相談したら、「そんな子放っておき!私たちが守ってあげるから!」と、頼もしい言葉をもらい、本人も程よい距離感で付き合おうと考え始めていましたが、それでも相手は放っておいてはくれません。

そうなると今度はやたらと近づいてきて仲良しアピール。

嬉しい娘はまた振り回されて、仲間外れにされて、、、の繰り返し。

見てる私の方が辛くなってしまい、入学当初からのコンビだったNちゃんのママに、それとなくメールをしてみました。(Sちゃんと一緒に行動をするようになっていたのでNちゃんも一緒に娘を仲間外れにしているんじゃないかとも思っていました。絶対にないと思いながらも自分の時と混同してしまっていました。)

“最近Nちゃん、どうですか?学校のこと何か聞いてますか?”

と、久しぶりの突然の連絡で明らかに怪しいけど、私としてはそれとなくな感じを装って聞いてみたら、察したようですぐに返信がありました。

“Sちゃんでしょ?最近〇〇ちゃんが仲間外れにされてるからかわいそうだってNが言ってました!”と。

あ、Nちゃんも状況はわかっていてお母さんにも話しているんだと少しホッとしました。

そして

“実はNもしょっちゅうやられてて、私も夫も何回も先生に相談してるんです!習い事でも一緒だから私もその子のこと見るんですけど、本当にボス的な感じで口も強いから。Nにもやられたら言い返しな!負けるな!って言ってるんです。〇〇ちゃんのこと心配してました。そういうタイプの子なので気にしなくて大丈夫ですよ”

と、私が思っていたのと全く違った答えが来たのです。

あ〜、この子はみんなにやってるんだ。娘だけじゃなかったのか。と。

 

そのことを娘に伝えると、顔がパッと明るくなり

「私だけかと思ってたけど、NちゃんもAちゃんもそうだったんだね。それなら大丈夫!私が何か悪いことしたわけじゃないならよかった。嫌われてるのかと思った。でも違ったから安心した。」

と言い、すっかり元気になりました。

次の日からは別人のように逞しくなり、学校生活を楽しんでいます。

たまに思い出して笑い話にできるほど、娘にとって良い学びとなったのです。

 

正解はないけど感情は出しておこう

子供同士のことだから。。。と親が首を突っ込むのを躊躇してしまうけど、子供の気持ちも受け止めつつ、悲しい気持ちも抱き締めて、本当の理由を突き止めてあげることは私は必要なことだと思います。

 

かつての私も、ずっと理由が知りたかった。

自分が何か嫌なことをして嫌われてしまったのか、何なのか・・・

そして、母に絶望に打ちひしがれた私の悲しみを受け止めて、抱き締めて欲しかったのです。

 

でも、こんなに傷ついたトラウマも、全て、私の人生の学びとして必要な体験だったのだと今では思っています。

抱き締めてくれなかった母に対しても、仲間外れにしたお姉ちゃんに対しても、嫌な役回りを引き受けてくれて“ありがとう”と思えるのです。

今日はこの辺で。

 

全てまるっと二重丸◎

 

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