社会人になってから、社会に適合できてないと知る。これはあるあるですよね。学生の時とは全く違う関係性や責任が出てきて、そんな中で“泣く”という行為はデメリットでしかありませんでした。どうしてこうなったのか?
生きづらさを感じたきっかけは“すぐに泣く”ことでした
子どものうちは自分の家庭を都合よく美化していた
短大を卒業するまで、私は一般的な家庭で育った、至って一般的な女の子として振る舞っていました。自己肯定感の低さだとか、育ちがどうだとか、ほとんど気にもならない学生生活を送り、友人関係も楽しく、そこそこ満足していました。
お父さんがひょうきん者であることを話題にしたり、お母さんがキャリアウーマンで美人なことを自慢に思っていたり、本当は家庭崩壊をしていたのに私は気づいていませんでした。家の中は不穏な空気でいっぱいで、私はなるべく部屋から出ないように息を潜めて過ごしていたにもかかわらず、認めたくなかったというのが本音かも、、、
そんな家庭環境良好で満足してます感を出していた私ですが、今でもしっかり感覚として覚えているのが
家を出た日。
短大の寮に向かう日の駅のホームで
私は何とも言えない解放感を感じていました。
ホームシックという言葉は私には無縁で、やっと手に入れた心の平穏にワクワクと安堵感でいっぱいでした。
仲のいい母子関係を演じつつも、適度に距離をとりながらうまくやっていけば大丈夫だと思っていました。
社会人になるまでは。。。
社会人の壁〜自己肯定感が低いとこうなる?〜
社会人1年目から徐々に、生きづらさが顔を出してきた。
例を挙げてみると
・誰かが褒められると自分がすごくダメな気がして落ち込む
・詰められたり、怒られたりすると言葉が出なくなって涙が出る
・「大丈夫?」と声をかけられるだけで涙が出る(感情の代わりに涙腺が崩壊)
・大勢の前で意見を言おうとすると涙が出る
そう!とにかく私は泣き虫のレッテルを貼られ、「泣けば済むと思ってる」とか、「泣くのはズルい」、「涙は女の武器やね」とか言われ、さらに罪悪感に苛まれていました。自分でもどうして泣いてしまうのかわからなくて、そういう状況になること自体がとてもストレスでした。言いたいことあるのにその前に泣いてしまって言えなくなるのです。
脱却した今では全くそういうことはなくなって(感動の涙とかはやはり涙腺緩みがちだけど)かなり自分でも変わったという自覚があります。
今になってわかる涙の理由は
小さい頃に“言えなかった思い” “寄り添ってもらえなかった感情” “押し殺した怒り” “抱きしめられなかった不安や寂しさ” ・・・たくさんの感情が涙となって溜まりに溜まっていたのです。私の中にいる小さな私が膝を抱えて、震えながら声を押し殺して泣いていたのです。誰かに気づいて欲しくて。。。
私はもちろんそんな私の存在に気づかずに、泣きたくないのに何で?と悔しくて悔しくてまた涙というループにハマっていました。