病気はスピリチュアルなメッセージ?母との距離感

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生きづらさを抱えたまま、その状態が解決するとかできるとか、生きづらさがどこからきているのかとか、そんなことまでは考える余裕がなかったのだと思います。社会に出たら日々の刺激の情報処理で手一杯。自分のことに目を向けられていなかったのです。

 

生きづらさから病気になった?

若いうちは周りが年上の先輩方ばかりだったので、遅刻しても、体調崩しても休んでも、夜遊びして寝不足でも、、、、すぐに泣いちゃっても、若いから許されてたし、可愛がってもらえていました。末っ子なのでそういった甘え上手な部分は多少なりとも持ち合わせていたようです。

ただ、だんだんと社会経験が進むにつれて、

同僚や後輩に対する嫉妬心、対抗する気持ちが強く出てきたり、

ずるい人を見るとイライラして陰口を言ったり、

真面目な自分、頑張っている自分を認めさせようとアピールしてみたり、

コミュニケーションが上手く取れなかったり、

・・・・なんか、自分が嫌い。。。

こんなんじゃなかったはず。

どうしちゃったんだろう。

そんな気持ちでいました。

 

社会人3年目、リンパが腫れて高熱が数日続いては治り、

また腫れて高熱が出るを繰り返し、会社に迷惑をかけていました。

そんな自分が許せなくて、また自分を責めて落ち込んで。

 

後で調べてみると、

リンパ節が腫れている時のスピリチュアルな意味は、

「人生において悔しい思いをしている」ということです。納得がいかないことを受け入れなければならない時があったようです。そして、反抗をしなかったので、その悔しさを忘れることができないでいるようです。

しこりができる時のスピリチュアルな意味は

「忘れられない出来事がある」ということです。忘れられない出来事とは、心がズキッとするような、大きなショックを感じた出来事で、多くの場合は、自分と両親の間で起こった出来事でしょう。そして、本来であれば親を憎みたい気持ちがあったのですが、同時に親を愛する気持ちもあり、結果的に親を愛する気持ちを優先させたようです。しかし、親を恨む気持ちが消えた訳ではないので、その恨みの矛先が、自分へと方向転換をし、自分を恨むことになってしまったようです。その為、自分自身をひどく憎んでいるようです。つまり、自分を否定し、許すことができておらず、その恨みが深層に定着していることの表れとしてしこりができているのです。

とあります。

 

高熱からの検査入院

原因を検査するために入院することに。

首のリンパがゴリゴリに腫れていて、そこにメスを入れて組織を取り出し病理検査をするとのこと。

私は当時付き合っていた彼氏に頼り、親には一切の連絡をしていませんでした。

“連絡する”ということさえ思いつかなかったというのが本当のところです。

 

検査手術の日、

首の部分麻酔が中々効かず、足してもらうも効かず。

首が引きちぎられるような痛みに耐えきれず、

看護婦さんの手を握りつぶしそうなほど悶絶していました。

そしてついに全身麻酔に切り替えられた時、薄れゆく意識の中で

「これはツガイじゃのう」(医師)

「かなり複雑に巻きついてますね」(看護師)

という、先生も予想外だったんだな〜と思える会話を聞きつつ・・・・zzzZ

 

目が覚めた時も彼がいてくれました。

彼だけは私を心配し、とにかく甘えさせてくれました。(傷跡も私がみるとショックを受けるだろうからと、ガーゼを変えるのはいつも彼がやってくれるほど)

彼との別れも、私の生きづらさが影響していたことはまた書きます。

 

母に頼る意味がわからなかった

看護婦さんから「思いの外、出血したのでお母さんに電話しました。お母さんびっくりしてありましたよ」とのこと。

え?お母さん?何で?と不思議な気持ちでいましたが、そりゃそうですね普通。

親なんだから連絡しますよね。(大人だから全て自己責任だと勘違いしてた。)

 

また怒られるかな?

と思っていた矢先、母から電話がありました。

「なんで連絡しないのよ!急に病院がら電話があって何のことかわからなかったじゃない!」と。

やっぱりクレームの電話でした。

病気のことを聞いたり、大丈夫?と心配しているそぶりは感じられませんでした。

 

入院中もお見舞いに来るでもなく、連絡してくるでもなく。

 

それからいっときして実家に帰省した時、

大好きだった親戚の叔父さんのお仏壇に立ち寄ったら、

叔母から

「入院してたこと聞いたよ!お母さんから。そんな大変な時に何でお母さんに言わなかったの?頼ってもらえないなんて、こんなに親不孝なことはないよ」

と悲しげに、穏やかな声で、諭すような口ぶりでした。

叔父さんはたくさんいる従兄弟たちの中でも私を特別に可愛がってくれて、叔母さんも母とは違いとても優しい叔母だったので、私にとっては親よりも安心する存在でした。

叔母は病気のことや入院中のこと、退院してからのこと、入院代はどうしたのか?とかたくさん聞いてくれました。そんな話は母とはしたことがなく、私のことを心配してくれている人がいるのかと涙が出そうになりました。

 

でも、叔母が言った“親不孝”という言葉はいまいちわかりませんでした。

そもそも母は心配していないのだから。

 

母子関係、距離感はそれぞれ違う

私が母になぜ電話しなかったのか、考えてみると

高校生の時に自転車で帰宅中、病院の前の横断歩道を渡っている時に、病院の医者に自転車ごとはねられたことがあり、すぐに親に連絡するように言われて電話したのですが、親は病院には来ず。「自転車大丈夫なん?動くなら自分で帰っておいで」と。

一緒にいた友達が付き添ってくれ、病院で脳波やMRIなど全身検査をされ、高校生でもやはりまだ不安でした。帰ると親は「大丈夫〜?」と言いながらも、特に普段通りでビールを飲んでいました。

「自転車どうなったん?」

・・・

 

また、社会人1年目の時、私の車が横転するほどの接触事故に遭い、救急車やパトカーがいっぱいきて不安な中、母に電話するも、、、出ない。

どうも寝ていたようで折り返しがあり、状況を説明すると

「めずらしく電話してきたと思ったら、、、。眠いから明日にして」と切られました。

・・・

これらの経験があったから、私は母に頼ることはしなくなったのだと思います。

 

実家に帰った時の母との何気ない会話の中で

「〇〇ちゃん(私と同い年の従兄弟)はしょっちゅうお母さんとメールで連絡取り合ってるみたいよ!仲良しでいいねえ。うちは全く連絡してこんけど!」

と。

・・・

「そうなんやね〜。仲良いね〜。」とサラリとかわしましたが、内心は

メールで連絡したって気持ちの良いコミュニケーション取れんやん?愚痴ばっかで連絡したら暗い気持ちになるからやん?

って思っていました。私は今の距離感がベストだなーと。

 

そうは言いつつも

そうは言いつつも、盆正月、彼岸は必ず実家に帰り、家族と過ごしていました。

もちろん兄たちが帰ってくるのでみんなで飲んでワイワイするのが楽しかったし、家族を優先する自分で居たかったのか、帰らないことで文句言われたくなかったのか、とにかくこの長期休暇も友達や彼氏とカウントダウンとか旅行に行くとか考えたこともありませんでした。それが許されるとも思ってなかったので当たり前のように思いつかなかった。

今思えば、完全に従順な子供を演じていました。自分のその時その時の気持ちを聞き入れることを私自身がしてこなかったのです。麻痺していました。

 

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