母子分離不安っていつからいつまで?回復までのリアルな経過

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娘が母子分離不安になりました

小学1年生の時に娘が母子分離不安になりました。この記事ではその時のリアルな状況と回復した経緯を書いていますので、ぜひ参考になさってください。

 

母子分離不安と気づくまで

今では毎日楽しく学校に通っている娘ですが、

実は1年生の時に「母子分離不安」で通えない時期がありました。

 

保育園では明るく誰とでも仲良くできるタイプで、小学校にあがってもきっと大丈夫だろうと全く心配していませんでした。

3月末まで保育園に通い、4月1日からは小学校の学童という感じで突然学校生活が始まりました。新しいクラスよりも先に学童に馴れる必要がありました。

しかも、娘の通っていた保育園とは学区が違うためお友達が1人もいない状況の中、自分から声をかけて友達を作ろうと頑張っていました。

その甲斐あって入学式を迎える頃にはすでにたくさんのお友達ができていました。

そして入学してからはクラスのお友達に自分から声をかけて、仲良くなろうと頑張っていました。

毎日楽しく通えているな〜と安心した頃に、突然夜中にシクシクと泣く娘。

「どうしたの?」と聞いても「わからない」と。

ただただ「怖い。学校に行きたくない。」

 

その日から娘の笑顔が消えました。

 

笑顔が消えた

夜中には何度も起きるし、朝目が覚めてからもシクシクと泣いていました。

「学校は楽しいし、お友達もいるから行きたい」

「でも、ママと離れられない、怖い」と。。。

ひとまず学校の門までいつも一緒に行くお友達5人と私と娘で登校することにしました。

門から離れるのに何分もかかり、泣きながらお友達に支えられながら、何とか通いました。

当時の私はすぐに落ち着いて元の娘に戻るだろうと思っていましたが、日に日に悪化して行っているように思い始め、何よりもあんなに笑顔で明るかった娘から笑顔が消えたことにすごくショックを受け、悩みはじめ、また、時にはイライラしていました。

ママ友に相談するも、コレという答えは見つからず、娘とべったり甘える時間を作ってみたり、じっくり話してみても状況は変わらず・・・

ネットサーフィンをしまくって、、、ある日ついに

「母子分離不安」という言葉にたどり着いたのです。

病気なのか何なのか?娘に何が起こっているのかわからなかった状態から一歩前進。

 

母子分離不安

どうやら成長に伴って脳も発達し、「お母さんがいなくなったらどうしよう。お母さんが死んじゃったらどうしよう。死ぬってどういうこと?」といったことがわかり始めるようで

症状の出方は人それぞれだけど、小学1〜3年生の間に強く出る子もいるとのこと。

まさに!

娘も「学校は楽しいし、行きたい」と言っていたし、

「ママいなくならない?早く迎えにきてくれる?死んじゃったらどうしよう。心配で離れられない」と。

この状況が2ヶ月以上続くようならお医者さんに相談することも薦められていて、そうとわかれば覚悟を決めて私も付き合おうと会社に時短勤務の申請をしました。

確か6月の末くらいのことだったと思います。

“毎日毎日お母さんと一緒に泣きながら登校する子”ということで、すっかり娘も私も有名人になっていました。

お迎えの時も私の顔を見れば、下校中の子供たちが「今日も泣いてたよ」とか教えてくれるように。

そして夏休みに入る一週間くらい前のこと、いつも登校中に挨拶をしてくれる3年生の女の子が娘に

「わかるよ〜!私も1年生の時、学校に行けなくなった時あったよ!でもね、2学期からはまた行けるようになるから大丈夫だよ!」と。

その言葉を聞いて、娘は「え?」という表情。何かが少し変わったのを覚えてます。

その日もやっぱり娘は泣いていて門から動けずにいると、さっきの3年生の女の子が「〇〇ちゃん!私のランドセルに掴まって〜!」といい、

娘が何だろう?と捕まると、その後ろに次から次に子供たちが繋がっていき、

「じゃあ、出発〜!」と言って

イモムシ列車のように走って行きました

「きゃーーーー」と楽しそうにみんなが笑ってる中で、娘もハニカミ笑いでした。

この時の光景は今も鮮明に思い出されるほど、私の心に温かく沁み込んでいます。

 

夏休みに入り、学童だけの日々。

それでも様子は変わらずで、毎朝門まで送り、泣いて別れるの繰り返し。

 

2学期に入って、突然娘から

2学期になり2日目。

「今日は門が見えるところまででいいよ」

「え?」

何の前触れもなく突然のことでした。

それから数日間は門が見えたら私は引き返すという新しいパターンになりました。

娘も不安そうだけど前みたいに泣くことはなくなっていき

「今日はみんなの集合場所まででいいよ」と。

娘なりに徐々に学校までの距離を伸ばして行く作戦のよう。

集合場所まで連れて行き、お友達にお願いして送りだす。

不安そうにずっとこっちをみながら、見えなくなるまでみていました。

そしてついに、、、、

「もう大丈夫!」と。

 

2学期が始まって2週間くらい。

娘は今まで通り普通に行けるようになり、前のように可愛い笑顔も戻りました。

 

もう大丈夫

1年くらい経ってから娘にこの時のことを聞いた時、

「3年生の〇〇ちゃんが、私もそういう時あったよ!って教えてくれたのが安心した」

と言っていました。

娘も自分に何が起きているのか、これは病気なのか、治るのか、初めての状況で不安でいっぱいだったそうです。そこで同じ状況の子がいて、しかも治るとわかったことが大きかったようです。

そして私が「行きたくないなら休んでいいんだよ〜って言ってたけど結局1回も休まずに学校に行ったよね」と言うと、

「休んでもいいと言いながら、ママはしっかり学校に連れて行ってたよ!」と。

あれ?認識のずれが・・・・・なんか、、、ごめんね。

 

今度は弟の母子分離不安

そして、その翌年、弟が1年生になる少し前、卒園式の前後からだったと思う。

「ママいなくならない?僕はいなくならない?ママ閉じ込められない?僕は閉じ込められない?」

と同じパターンのセリフを早口で1日に何回も何回も聞いてくるようになりました。

「ママはいなくならないよ!閉じ込められないよ!」と答えると

「よかった!安心した!」

とここまでが一連の流れとなっていました。

 

お姉ちゃんの時のように泣くことはなかったけど、

これが弟の母子分離不安だったのだろうと思う。

私も姉さんも経験済みなので、弟のこの状況に慌てることなく対応できたのでした。

弟の母子分離不安はGWくらいには落ち着いていたと思います。

 

お母さんも、メンタル揺らぎます

母子分離不安とわかるまでは、ただサボりたいのかな?とか、頑張りすぎて疲れちゃったのかな?というふうに思っていました。そういう理由で学校を休ませるわけにもいかないし、休み癖がつくんじゃないか、とも思い、励ましながら(私は少しイライラしながら)送り出していましたが、いよいよ症状の深刻さに気付いてからはべったり甘えさせ、できるだけ安心させようと心がけていました。赤ちゃんの頃のように抱っこしたり、ご飯を食べさせたり、膝に乗せたり、お風呂も歯磨きも寝かしつけも、、、笑 結局は時間の経過と本人の気づきが大きかったのかなと思います。

「母子分離不安」の症状の説明はネットで得ることができたけど、同じ状況の人がいないかどうか、実体験の話は当時は中々見つからなかったというのもあったので、うちはこういう感じでしたよということを記録までに。

 

それでも心配な状況は変わらないだろうし、症状の出方はそれぞれ違うだろうから対応の仕方も正解はないのだと思うけど、少しでも何かお役に立てたらと思います。

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