自分を可愛がってる?
少し前に友達に言われてハッとなった言葉。
「〇〇(私)のインスタは子供たちばかりで何で自分はいないの?」
気にしたことなかったけど、確かに!
“私の”SNSのアカウント写真は全て“子供たちの”写真でした。
インスタグラムにもいつも子供たちの様子を写真とともにアップして、
自分のことを書くこともなければ、自分が写真に写ることすらなかったのです。
過去の自分の写真に関しては「写真嫌いになった理由」で改めて書きますが、
子育て中の私が子供たちと一緒に写っている写真もほとんどありませんでした。
私がいない
行事ごとの記念写真には写っているものの、日常写真にはいくら見返しても私はいない。
パパと子供たちの写真ばかり。
こんなに子供たちと笑って泣いて、必死で子育てしてきたのに、私がいない。
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悲しいな。。。
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私、私を忘れてる。。。
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そんな風に感じました。
友達がSNSに自撮りや人と撮った写真に自分もちゃんと写っていてアップしていることに、素直に「そうなんだ〜!」とか「いいね!」とか「元気そう!楽しそう!」と思ってみていて、ネガティブな感想は全く持っていませんでした。
なのに、自分のことになると、自分が好きな人みたいで恥ずかしいとか、これを見てどう思われるかな?とか、可愛くないとか、、、そんなことを思ったり、自分のことに誰が興味あるんだろうとか、逆に自意識過剰なほどにネガティブに思っていました。
そして、友達に「もっと自分を可愛がった方がいいよ!いつも子供のことばっかりじゃん!」と言われ、いい意味で衝撃を受けたのです。
顔が可愛いとか、可愛くないとか、、、興味あるとか、ないとか、、、美人でないとか、太っているとか、“ママなのに”とか
確かにどーでもいい!
と急に思いはじめ、
手始めに写真に写ることにしてみました。
小さな一歩が大きな一歩?
いつも撮る側ばかりだったのに、子供たちを撮り終えた後
ある日、「ママも撮って〜」と言ってみました。
そうすると子供たちは嬉しそうにシャッターを切ってくれます。何枚も!
一緒に映るのはもちろん、1人で撮ってもらうことも増えてきて、子供たちもいつの間にか何も言わずとも次はママねという感じで代わってくれるようになってきました。
子供たちが撮ってくれる私は、私ではないような感じで客観的にみても“いい顔”をしていました。
いつも、「ママ可愛い♡可愛い♡」と言ってくれて、どんな私でもありったけの愛をくれる子供たちの存在は、地を這うほど低い私の自己肯定感を高めてくれます。
そんな子供たちの目には私は可愛く映っているようで、写真には撮る側の感情が影響するんだな〜と思ったものです。
アイコンを自分の写真にする
そして、ついに勇気を振り絞ってLINEのアイコンを!
と言っても、まだ私にはハードルが高かったので、まずは背景画像を自分と子供たちが写っている写真に変えてみました!(まずは低めのハードルから)
変えてからいっときはソワソワして落ち着かず、
恥ずかしいような、嬉しいような、不思議な気持ちでした。
早速アイコンが変わったことに気づいた別の友達が
「アイコンと背景が変わったね!いいね!」
と連絡ついでに気づいて伝えてくれました。
気づいてくれたのはもちろん嬉しい気持ちと照れ臭さがあったけど、何より
自分の写真を見ても何も思わないでいてくれて、「いいね〜」と思ってくれたのがホッとしたのと、解放感とも爽快感ともいう感情がありました。
みんな自分のことしか見ていない?
“自分は自分しか見ていなかった”のだなと気づき、
そっかそれなら“人もみんな自分のことしか見ていない”のだから、
自分の顔がどうだのこうだの、どうでもいいのだ。
集合写真を見るときも“まずは自分”を探しますよね、どんな写りか、どんな表情か。
自分を忘れて人のことばかり探す、なんてないのです。
この気づきは私の中でとても衝撃で、いつも人がどう思うかに重きを置いてきたのが
「なーんだ!私今まで何を気にして遠慮してきたんだろ。」
“もっと自分を堂々と可愛がりたい!” (みんな自分のことしか見てないんだから笑)
と思えるようになりました。
こうして少しづつ、自己肯定感をもちはじめ、“自分を可愛がるということ”を意識しはじめたのです。
今となっては、
“自分のことは自分が可愛がらなきゃ、誰が可愛がってあげるのか”
と思えるほどに、
自分の気持ちをきいて、優先してあげられるようになりました。